>
フリースペースです。

プロフィール

ほししま ゆあ

  • Author:ほししま ゆあ
  • ゆあ・・・1963年7月24日生まれ(しし座)
    血液型・・・典型的なB型(好きなモノには、
    猛突進してのめりこむが、キライなモノには、
    一切手を出さない)(笑)
    現在51歳、既婚・子供なし。
    30歳独身時に卵巣ガンになり、結婚相談所にて35歳にて結婚。
    ただいま、大うつ病・パニック障害・不眠症を治療中。
    メンタル面で非常に弱いので、
    その方面に理解のない方は、
    コメント・メールはお控えお願い致します。
    メールの内容によっては、お返事致しかねる場合も
    ありますので、ご了承願います。

    2013年5月9日より13年間住んだ柏市(北柏・根戸付近)より放射能汚染を逃れて、岡山県に夫と自主避難移住を完了。
    現在に至ります。

最近の記事

カテゴリー

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード

--.--.--
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--:--  スポンサー広告 no-comment no-trackback
2014.08.01
☆少しずつ・・・
引きこもりになって、激減してしまった体力と、原発事故でひどくなってしまった
このうつを、やっぱり、どうしても治したくて、
元の抗うつ剤のアモキサン10mgに戻していただきました。

このうつがひどくなった晩に、私がまだパニックもうつもこんなにひどくなかった頃
の自分を思い出していました。、
その時の私は、41歳。
独身卵巣がん体験者にリアルに逢う活動をしていました。
がん患者にとって、5年10年というのも節目ですが、
毎回の定期検診でもすごいストレスとプレッシャーが心に来ます。

「今回の検査で再発が見つかったら???」
こんな心配を、私も何十回してきたでしょう。

でも、10年を無事、超えて・・・私が出来ることを探してみようと当時思ったのです。
それは、私がちょうど40歳の時でした。

10年超えて、治って、35歳の時に、念願の結婚もして、
がんになっても、実際に幸せになってる人が、現実にいることを、まだ知らない人に
ひとりでも多く、知ってもらうことで誰かしらの希望になれるのではないか?
リアルに逢えば、「私も数年後には、こうなってる!きっと、私もこうなれすはず!」というイメージが
体験者さんたちの心に湧くのではないか?
それがHPとこのエッセイを書き始めるきっかけでした。

私は、メイクをするのが、とても好きだったので、
メイク方法を教えてあげたり、たわいないおしゃべりをしたり、
ネットの中を飛び出して、患者会みたいにリアルに治った人と接する
そんな機会があってもいいのではないか?

実際、この時には、まだ卵巣がんの独自の患者会は存在しませんでした。

また、子宮がん・卵巣がんの患者会に参加しても、
既婚者が多くて、独身の仲間がみつからないなど、
患者会に出ても、どっか疎外感が残る方もいらしたり、
(私が実際、たぶん、出席しても同じように独身だったら思ったと思います)

独身と既婚という違いはあるけれど、
「がんになったら、仕事も結婚も恋も諦めないといけないの?もう、私は一人で生きていくしかないの?」
という周囲の思い込みみたいのを、たくさんの独身がん体験者さんたちの心から払拭したい。
それが、私の夢でした。


41歳からは、実際に地方の新潟や群馬や茨城、江戸川区や遠くでは名古屋まで
がんの種類にかかわらず、独身のがん体験者さんに逢いに行く活動をしていました。
行く時は、夫が出張の時に重ねて、行くようにして
なるべく夫が一人にならないようにしました。

一人で、遠出するのも怖かったけれど・・・独身の5年経つまでのOL時代には
平気で、一人で大阪まで出張に行けていたわけですから、
行けないはずはないと思いました。
その時に、どうしてもやる気が出ないと替えてもらった抗うつ剤が
アモキサンでした。

たった10mgのアモキサンが、私を一人で新幹線に乗せて
私に逢いたいと思ってくれてる人に逢いにいく勇気とやる気をくれたのでした。

福島のあの事故前までは、(2010年までは)
一人で大阪まで友達と一緒に
大阪のクリスマスイルミネーションを見に行く・・・
大阪で大好きだった倖田來未の大阪城ライブに見に行く
そんな行動力もありました。
このブログで紹介したこと、ありましたよね?

しかし、あの大きな地震とそして、あのレベル7の悲惨な放射能事故が
私の全てを オセロのコマの白を黒に全部ひっくり返してしまったのでした。

それまでは、北柏橋という橋まで自宅のマンションで自転車で行き、
更に手賀沼大橋というかなり距離のある(道の駅もあるような施設)ところまで
往復で何キロくらいだったでしょう?
サイクリングコースをワイパックスを飲みながらの日課でしたが、
天気の良い、心地のいい季節には繰り返したり、
ウォーキングで家から北柏ふるさと公園の東屋まで歩いたり
なんの恐怖もなく動けていたのです。

事故後の柏の風景は全く変わってないように
周りの人には見えなかったかもしれない。
大半の人は、今も見えないらしいけど、
私には、事故から柏の街の地面に柚木先生の赤いつぶつぶの絵を
Twitterで見た時から、自分の家の周りが真っ赤になってるのが
見える気がして、とてもとても怖くなってしまったのです。
外を測れば、平気で0.2~0.3μsvあるマンション前の道。
自転車置き場のあすファファルとの苔を測定したら、
余裕で0.5μsvを超えました。

がんでCT被曝を相当してる私には、この環境がどれだけ
怖かったか?

事故が3月11日で寒かったので、窓はそれから1回も開けず、
洗濯物も、全部、毎日、浴室の浴室乾燥機で乾かず徹底ぶりでした。
食材も、九州から、楽天で取り寄せ、水はクリスタルガイザーのシャスタ水源しか
買って飲まない。

それでも、夫は、大のうなぎ好きだったので、
月に1度は、本当に美味しいうなぎ屋に柏で食べたりもしてしまってたし、
週末は二人で食事が取れたので、いつも外食にしてしまってて
安全なお店が見つからないので、仕方なくいつもの馴染みのお店で
お刺身を食べないようにして頑張っていました。
でも、サラダは食べちゃってましたね。

2年目になると、大手スーパーもリクエストが多くなってきたのもあって
西の野菜を置いたり、西のレタスなどを置くようになったりしていました。
ちだいさんのブログを必死に読みあさりながら、内部被爆を
極力、しないように怯えて過ごしていた日々。
思い出すと涙が出てきます。


昨日は、久々に、サイクリングではなくて散歩をしてきました。
アモキサンのせい?か、サイクリングで少し脚力がついたのか?
いつもより早く歩けたのはいいのですが、
血流がよくなりすぎて、途中から太ももがかゆくなってしまいました。笑


問題は意識なんですよね。
帰ってきたあと、運動したので疲れるのは当たり前なのですが
疲れた体の体感が、被曝の疲労感なのか?
運動の疲労感なのか?
うつの症状の疲労感なのか?全くわからなくて不安に怯えます。
ただ、疲れるだけでも、怖くなって・・・帰るとしばらく横になります。
疲れる感覚がとてもとても怖いのです。
でも、運動はやめたくない。
元の自分に少しでも近づきたい。

私のパニックとうつの発端は38歳の時です。
結婚して35歳の時から、私と夫は運動不足解消に、
私は結婚して3食昼寝付きの専業主婦を数ヶ月していたら、
ものすごく太ってしまい、なんとかしなければ!と思って
夫の誘いと共に、近所のスポーツクラブに入りました。
その中で、普通のエアロ3本分が1本くらいのすごいハードはボディーメイキングという
ある先生のとても激しいエアロがあり、それを数ヶ月、週3回してたら、
みるみるうちに、体重はそのままなのに、すごい体が締まって、
ボディラインがとてもスッキリして綺麗になってきたのです。
元々、下半身デブだった私は、最後にどうしても太ももに脂肪だけが
あと少し取れないか?と考え、その先生が掛け持ちしてる他のスポーツクラブに
他の駅まで通ってまで、そのエアロのレッスンを週に5回受けていました。

もちろん、高校時代などバスケ部などではなく、ずっと文化系でもともと、
持久力や体力がないし、数ヶ月初心者、エアロを受けてからのこのクラスに
入ったのですが、なんでこの1本のクラスに絞ったかというと
この女の素敵な先生の厳しさと効果のある教え方に惚れてしまって(半分、追っかけみたいになってました)
とても尊敬、心酔してる部分もありました。
ものすごくヘトヘトになって、体力の極限のボロボロになっても
疲れていたのに、「次の日も行かねば!」とあともう少し太ももの肉を絞りたくて
頑張れていたのが、あまりに疲れと2個のクラブ費がかさむので
結果的に最寄りの一つスポーツクラブも絞りましたが、
あるとき、自分の限度よりすごい運動量のエアロを最後までしてしまった為に
最後の最後のクールダウンで呼吸が乱れ、エアロが全部終了後には、
全身がしびれて、過呼吸を起こして倒れてしまったのです。
血圧が低すぎて、測れないほどに。。。
内蔵までしびれてる感覚は、本当に怖くて、死ぬのかと思いました。
それから、エアロの前半30分だけでも、同じ症状があらわれ、過呼吸がクセになってしまったのです。
それが38歳のときでした。
よって、仕方なくそのエアロ(スポーツクラブ)はやめざるえませんでした。


そして、そんな同時期に まもなく、父の原発不明の末期がんが見つかり、
2月までプールに通ってたまで元気だったのが、
3月には、肝膿瘍と診断されたものが、実は、原発不明のがんから
肝臓にもはや転移、大腸にも転移して、腸閉塞を起こしてる最悪の事態であることが
慈恵医大に転院、検査後にわかりました。
最愛の父は4月の末に転院入院後、余命1年と言われたのが、
抗がん剤も打たなかったのに、水も食べ物も絶飲絶食で
みるみるやせ細り、モルヒネで、どんどん父の面影が消えていき、
転院後、たったの3週間の入院で、この世を去るという出来事が起きて、
(その父の死のその半年前に大好きな母方の祖母をやはり末期ガンで亡くす
というショックと立て続けだったもので)
私は、「今度は、また私ががんになるかもしれない」という恐怖に
私は立たされ、それ以来。。。大うつ病になってしまったのです。


父の病がわかった時には、自分の食欲がまったくなくなってしまい、眠れなくなり
完全に自律神経がおかしくなってしまいました。
それにいち早く気づいて、「心療内科に行け」とアドバイスをくれたのが
今の夫でした。
そこで、セパゾンとトリプタノールとドクマチールをもらったお陰で
最初に書いた活動が出来るまでになったのです。


かなり良くなったので、薬も、通ってる医者も替えて、
いろんなうつ剤を試してきました。
うつ剤を一切、やめた時期もあります。

移住を機に、不眠症にまでなってしまったのですが、
今は、睡眠導入剤と睡眠薬で普通の眠りと同じような
眠りを手に出来ています。


移住前は、睡眠導入剤と抗不安剤だけで眠れていたのが
岡山の物件をみて回ってるうちに、ホテルで
親と妹をおいていく罪悪感にさいなまれるようになり、
ホテルでも街中でも、ほとんど何も食べられなくなり、
体調がボロボロになって、夫と物件も一緒にどこも見てまわれなくなりました。

そんな中、必死に物件を仲介の営業マンさんと見て周り、
このマンションを見つけ、契約まで一人で柏から何回も岡山に行ってくれたのは
今の夫でした。

今の夫が早期リタイアをし、移住決意してくれなかったら、柏での3年目の私はどうなっていたか?
本当に想像もつきません。
低線量被曝で、置いてきた家族はもとより
子供や大人、関東に住む友人や知人、いろんな方々に被害が出ないことを心から
祈るしかない毎日です。

ヨウ素が出てる事実、凍土壁の問題、ダダ漏れなうの原発、
1号機のカバー取り外しの件、放射能ゴミを8000ベクレルまで燃やしていいという決断、
汚染水の問題、ガザやウクライナの様子。。。
どっちを向いても、もう暗闇で、片鱗でもこの今の事実を知ってる人たちには
どこにも出口がない迷路に入ってしまった気がするのは、
私だけではないと思っています。


スポンサーサイト

00:00  パニックとうつと不眠症になった発端 comments(0) no-trackback
comment
write comment







上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。