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プロフィール

ほししま ゆあ

  • Author:ほししま ゆあ
  • ゆあ・・・1963年7月24日生まれ(しし座)
    血液型・・・典型的なB型(好きなモノには、
    猛突進してのめりこむが、キライなモノには、
    一切手を出さない)(笑)
    現在51歳、既婚・子供なし。
    30歳独身時に卵巣ガンになり、結婚相談所にて35歳にて結婚。
    ただいま、大うつ病・パニック障害・不眠症を治療中。
    メンタル面で非常に弱いので、
    その方面に理解のない方は、
    コメント・メールはお控えお願い致します。
    メールの内容によっては、お返事致しかねる場合も
    ありますので、ご了承願います。

    2013年5月9日より13年間住んだ柏市(北柏・根戸付近)より放射能汚染を逃れて、岡山県に夫と自主避難移住を完了。
    現在に至ります。

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2014.07.15
☆怖いことを何も知らなかった頃・・・
今のこの狭い日本に54基もの原発が作られてることも知らずに、
原発で働いてくださってる人が被曝してることも知らずに、
普通に電気を使って、フツーに暮らしていた福島事故前。

確かに、いつか来ると言われてる関東大震災とかも
漠然と恐れは抱いてたけど、
それは自分が生きてる間に起きるともわからないし、
関東大震災は、私が都内の小学校に通ってる頃から
話はあった。

学校で机にもぐって、避難場所の代々木公園まで歩いて避難する練習もあったくらいで。
でも、それも現実味がなくて、やらされてる感がいつもあって、
あの頃って本当に地震があった記憶ってあまりない。

柏に越してきて、茨城沖に近いからか?
地震がよく響くなって鎌ケ谷の実家より思ったことは何度かあったけど、
マンションだし、倒れることはないだろうと思ってたし、
あんなに福島が震源で、あんなにあんなに揺れるなんて思ってもいなかった。
原発が壊れて、いろんなところが汚染されて、
昨日までフツーにサイクリングしてた公園やフツーの道が
すごい線量になってることを線量計をやっと買えてみた時のショック。
自転車置き場のアスファルトの境目に生えてるコケは0.5μsvを超えていた。
事故前の10倍の汚染の数字だった。

パニック障害で、うつ病で
ちょっと運動をして、動悸で自分の心臓のバクバク音が怖い私が、
その自分の恐怖を乗り越えようと、必死にサイクリングをしてた公園、
緑道、あらゆるところがひどい汚染を受けた。
川も、最悪の数字がたたき出されてた。
頑張ったなあ~と息をつく公園のあづま屋のそこの椅子も
よく休んだ木のベンチも芝生もどこにも怖くてもう座れなくなっていた。
そんな事実がわかってしまった時から、いや、
寒かったので、ずっと窓は締め切ってたし、
計画停電もあったので、部屋は掃除をしっかりして、
0.05μsvを維持して、部屋にずっとひきこもっていた。
ひとつき以上、毎日、余震が絶え間なくあったから。
それから移住までの2年間、私は本物のひきこもりになった。

怖くて、怖くて。
その時は、旦那も仕事なので、どんなに揺れても
ひとりきりで。
4月の11日ももう一度大きな揺れが起きた時も
生きた心地がしなかった。
柏で私がこうだったんだから・・・
福島や、仙台の人は、どれだけ怖かったか?
予想もつかない。

津波の映像も怖かったし、その親族の気持ちになってしまうと
立ち上がれない気がした。
私は、感情移入が人より激しい。
なので、見るもの、聞こえるものを選ばないと
すぐにそれがPTSDになる。

2年間、どこに行くにも、マスクははずせなかった。
事故のあった年の夏、実家の近くにあった美味しい梨園の
くず梨を安く買ってたのも、汚染が怖くてその年から
買うのをやめた。
ちだいさんのブログの検査結果を色々見てたから。

最初は、20ベクレル以下だったら大丈夫なんだろうって
あれは、5月頃だったかな?
ベクミルで測定した自分でよく買って食べてる
ヨーグルトが20ベクレル以下だった自分で測定した
検査の数値をみて、安心したけど、それは無知だった。
1ベクレルだって口に入れるのは、危ないことだって
私は、その時にはまだ知らなかった。

それを知らずに、ちだいさんのブログを知るまで
毎日、食べ続けていた。
旦那がうなぎが大好きなので、うなぎも月に1回は食べに行ってたし、
柏のレストランで、毎週、休みは外食をしてた。
柏市で取れたお米は米ぬかは汚染されてるけど、精米したお米からは
セシウムは不検出で出てなかったけど、
明らかに近くの畑や近県の水田は汚染されてしまっていただろう。

九州から、野菜を買って食べてた時期もあったけど、
週末は気をつけてなかったから、どれだけ今の自分の体のなかに
セシウムが蓄積されてるか?想像するだけでも怖い。

今、移住してからず~~~っと食欲がなくて、
ほんの少し食べただけでおなかいっぱいになってしまって
それでも、そんなにおなかもすかない状態で、
いつも何かに怯えていて、
体重も5kgも痩せたままで、力もでなくて、
元気になれなくて、堂々めぐりで
元気で安心したくてここまでこんな遠い岡山まで逃げてきたのに
自分の体にこれから何が起こるのだろう?とおびえてる自分がいる。
検査をしても、異常は何も出てこない。
いつも言われるのは、「心理的なものでしょう」という言葉。

何度も、食欲がなくなって夏バテで痩せたり、元気がなくなった時期を
経験したけど、胃カメラでなんともないのを見たら
昔は、帰り道におなかがすいて、コンビニのおにぎりを食べちゃうくらいに
すぐに元気になってた。




昨日、結婚が決まった友達がウエディングドレスをウエディングフェアに行って
選びに行くって書いてて、15年前の自分を思い出した。
相手に結婚資金の貯金がなかったら?と思って
がんになって、5年はまだ経ってなかったけど
自分でその当時、結婚にかかる費用は600万と聞いて
それだけは貯金してた。

自分の好きなドレスも見つけて、買ったし、
憧れだったハワイで今の夫を結婚をし、
毎年、どっかの海外に旅行した。
その時だって、原発は動いていた。
知らなかっただけで、危機はすぐそこにあった。

でも、しらなかったおかげで、普通に笑い、普通に行動でき、
同じがんを体験した誰かを励ましたいと思う心の余裕もあった。
実際に、体験者に会う行動もできてた。
今では、怖くて一人ではどこにも行けないのに。

事故さえなかったら・・・
事故さえなかったら・・・と思ってる人は
仮設住宅にいる人も
避難を余儀なくされてる人も、
津波で大事な人を亡くした人も
みんな、同じように大なり小なり思ってるだろう。

集団的自衛権とか秘密保護法とか今度は共謀罪とか
きな臭い、こんな世に誰がなると思ってただろう?

何もなかった時代に亡くなった人が羨ましいと思ってしまう
私は、おかしいのかな?

怖いよ。
怖いんだ。

何もかも。

何にも怯えなくていい世界に行きたいと思ってしまうのは
私が弱いせい?

みせかけでない、本当の平和な日本に戻してよ。
どこにも殺し合いのない世界にしてよ。
元のように笑える私にしてよ。

流せない涙を流しながら、そう叫んでる自分がいる。






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21:58  ゆあの独り言 comments(0) no-trackback
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