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プロフィール

ほししま ゆあ

  • Author:ほししま ゆあ
  • ゆあ・・・1963年7月24日生まれ(しし座)
    血液型・・・典型的なB型(好きなモノには、
    猛突進してのめりこむが、キライなモノには、
    一切手を出さない)(笑)
    現在51歳、既婚・子供なし。
    30歳独身時に卵巣ガンになり、結婚相談所にて35歳にて結婚。
    ただいま、大うつ病・パニック障害・不眠症を治療中。
    メンタル面で非常に弱いので、
    その方面に理解のない方は、
    コメント・メールはお控えお願い致します。
    メールの内容によっては、お返事致しかねる場合も
    ありますので、ご了承願います。

    2013年5月9日より13年間住んだ柏市(北柏・根戸付近)より放射能汚染を逃れて、岡山県に夫と自主避難移住を完了。
    現在に至ります。

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2014.03.11
☆あれから・・・3年
あれから、3年。
長かった3年。
いや・・・過ぎてみたら、短かった?
いや・・・長かったです。
色々、ありすぎて。


今でも覚えているあの地震の瞬間。
帰宅困難者になってあの日、会社に泊まった夫と妹。
夫は渋谷から北柏の自宅までJRが完全に復旧してなかったので、
いつも経路では帰れず、京成も使って、3時間かけて(いつもの倍)翌日のお昼頃に帰って来ました。
夜勤とか出張で、ひとりで過ごさねばならない夜はあったけど・・・
余震で何度も揺れ、TVでは映画と思うような悪夢のような津波のシーンの映像が繰り返され、
そのうちに、ふくいちの電源のことがニュースになり・・・
翌週から、いきなり、計画停電なるものが行われると発表。
まだ寒い3月の上旬。
電気が使えない時間帯が来る・・・と言われながら、
実は私の地域はなぜか停電になったことは一度もなかった。


知り合いの美容室は、シャワーもドライヤーも出来ないからと、休業に追い込まれ
あんな、東電による大嘘の茶番劇に何日も付き合わされた私達。


水素爆発も、3・4号機の爆発も、
そして、3月21日に来たブルームも
あれさえ、なかったら・・・
福島の事故がなかったら、夫も仕事を辞めてここ岡山に移住を決意する
こともなかったし・・・私も被曝の恐怖で引きこもりになることもなかった。


私の場合、30歳で卵巣がんになってるので、その後の精密検査の予後10年間
1年に2~3回のCT被爆をしていました。
乳がんなどは、普通は5年経てば完治宣言が出されるのだけど・・・
卵巣がんは、10年です。
当時は、被曝のことの知識なんて何にもなかったから、
10年目には、完治のお墨付きが欲しくて、PETまでしてしまった。
事故で知ったのは、被曝は累積。
私は、普通の人より被曝限度ののりしろがもうあまりないということ。


外に出れば、いつも余裕で0.3μsvはあった北柏の自宅マンション前の道路。
自転車置き場のアスファルトの苔は、常に0.5μsvを超えていた。
空気が汚れてるので、車内も被曝。
車内を図ると0.2μsvはいつもあった。
幸いにも、3.11から冬だったこともあって、窓は一度もあけてなかった。
なので、安全なのは、部屋の中の0.05μsvが保たれてるうちのマンションの部屋の中
だけがまるで核シェルターのようだった。


買い物に行っても、買えるものが全然なかった。
地震があって、しばらく水もない。牛乳やヨーグルトもなかった。
関西の友達から、あるだけスーパーで箱ごと着払いにしてもらって
水を送ってもらった。
着払いで6箱のミネラルウォーターが届いて、ホッとした瞬間、
今でも思い出すと泣けてくる。
その時、既に浄水場からセシウムやヨウ素が出てた。


スーパーに行っても、食べ物は東日本産のものばかり。
どれくらい経ってからだったろう。
顧客のリクエストで、大型スーパーに段々、西日本産のものが少しずつ置かれだした。
それまでは、怖くて、楽○から熊本産の野菜を買っていた。
旦那から貰う生活費で、多少高くても、それらが買えていた。
そう、魚も一切、食べなくなった。
いや、怖くて食べられなくなった。
あれだけ大好きだった寿司屋にも行かなくなった。
スーパーの産地の印字が怖かった。


頼れるのはデーターだけ、
そんな中、ちだいさんの「チダイズム」のブログが、どんなに私に安心を与えてくれたか・・・
どの食べ物が安全で、なんベクレルなのか?
彼のブログがなかったら、私は何を食べていただろう?
近くにOKストアもなかった。
会社の帰りに、成城石井で安全な西日本のものを夫に買ってきてもらう
そんな日もあった。


5月。避難したいと思った。
旦那は会社があるから、私ひとりで。(うちは、子供はいません)
大阪市で、自主避難も含めて、空家と無償で提供してくれてると書いてるHPを見つけた。
高槻に親戚がいて、高槻に一軒家の空家があるのを見つけた。
そこにいれるだけいようと計画した。
結局、親に猛反対にあい、断念せざる得なかったけれど。
それほど、自分の精神的に被曝に対して切羽詰まっていた。


でも、親も妹もそんな内心を理解してくれなかった。
そんな中、唯一、夫だけはこの恐怖をどれだけか?わからないけど
わかろうとしてくれてた。
いつ頃からだったかな?
「移住しよう!」という話が出てきたのは。
本格的に探し出したのは、2012年の9月くらいじゃなかったかな?
最初は、沖縄を考えた。
沖縄の中古マンションを当たった。
でも・・・暮らしていくには、なんとなく自分たちの何かが足りない感じが否めなかった。
安全なのはわかってた。
でも、沖縄に一番、福島の野菜が運ばれてる・・・そんな噂も頭から消しされなかった。


次に検討したのは、親戚も多い、大阪。
私は、出来たら大阪か兵庫に越したかった。
マンションをみて廻るほどの見学までは出来なかった。
なぜなら、夫が実は、関西嫌いだったから。
行くには行ったけど、結局、観光にしかならなかった。
そして、何より移住する中古マンションの相場が兵庫も大阪も高かった。


最後に出てきたのが、岡山。
夫は、若い頃、松山に転勤でいたことはあっても、岡山については何も知らなかった。
私は、小学校の6年の2学期から高校3年まで父の転勤で、
東京から岡山に転校して6年ちょっと住んでた。
なので、ほんの少し、馴染みがあった。それだけ。
でも、新幹線を降りた瞬間から、マスクを取れるその空気感の違いを感じた。
そこには、明らかな安堵があった。


あとから気づけば、岡山は母方の祖父と祖母のお墓があった。
祖父が岡山出身の人だったから。
縁がまったくない土地じゃなかった。
呼び寄せてくれたのかな?・・・そう思う時もある。


無事に引越しが去年の5月8日に終わっても、なんか・・・不安だった。
一から探さねばならない心療内科。
2年間、まるきり引きこもりになってた「私」の体力は体重も激減していた。
普通のスピードで普通の距離も息切れする体になってた。
自転車をこぐのも、疲れる体になってた。
そして、ここに住み始める最初は、2種類の睡眠薬が手放せなかった。
移住による不眠症で最後の岡山のマンションを決める時あたりから、
精神的にすごく不安定になって、泊まってたホテルでも3~4時間しか眠れなくなった。
眠れなくなると、あっという間に食べられなくなった。


原発事故から不安からか?遺伝なのか?血圧が高くなり、降圧剤も手放せなくなった。
今は、落ち着いてきて、睡眠薬も1種類になり、睡眠導入剤もレンドルミンからマイスリーに変わった。
食べれる量が激減したので、胃が小さくなって、本当に食べられる量が減ってしまい
体重は相変わらず、戻ってない。
もちろん、うつも治ってない。


津波や地震で家族を亡くしたり、家を無くした人の精神的打撃から見たら
私など、まだまだ軽傷だと思う。
このマンション、本当に安く買えて、築15年だけど・・・
完全リフォーム済で、新しいマンションに住んでるのと気分も感覚も
なんらかわりなく、柏は2LDKだったのが、3LDKに部屋が増えた。
ペアガラスにしたのもあって、冬の暖房がこたつもホットカーペットもいらなくなって
エアコンだけでよくなった。


食べ物の安心も、大きい。
いい心療内科、いい内科、皮膚科、歯科医院の出会いも大きい。
50からの移住には、私には過不足はないと感じる。


これからの未来予想図は、全く見えないけど・・・
夫と母と妹に、なにごともなく、元気で生きててされくれたらいい。
そう思う、今日、3.11です。


原発事故も被災者の方の救済も、何も収まってはいなし、
救済どころか、避難されてる方のご苦労は、3年経って
ますます増えているように感じるのは、決して私だけではないと思う。


亡くなった方のご冥福を祈りながら、
東京オリンピックなんかではなくて、本当の被災地の方に
救いの手を、東電を国がどうしても守るくらいなら、
その前にその予算があるなら、補償を先にして差し上げて欲しいと切に願います。






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11:47  思い出すと・・・ comments(0) no-trackback
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