☆希望は捨てない☆
2005-10-02(Sun)
希望の『希』も『希み(のぞみ)』と読むし、希望の『望』も『望む』と書く。
希みを望むと書いて、希望・・・。
私が結婚をしたくて、絶対に結婚が出来ると確信めいたものが、どっかに捨てずに何度断られても、あったのは、この希望がいつも心の中で赤々と燃えていたからなんです。
別に、皆は妙〜に写真映りがいい私を見て、誤解してるかもしれないけど、私自身は、「自分のルックスに自信があって、絶対に自分の貰い手はきっとあるだろう」とかそんな大それたことも思ってなかったし、又、子供が産めないことに必要以上に(見合いで断られた日には、そりゃあ落ち込んだりもしたけど)、自分自身を特に卑下もしてなかった。
でも、なんだろう?
自分が諦めさえしなければ、これだけのツライ思いをした人生をこんな歳で味わってきたんだもの・・・「後半につづくみたいな」・・この人生の後半の続きに大どんでん返しが待ってないとね、「そんな面白さがなきゃ、そりゃ嘘だよね!」っていう変な確信があった。
『不幸半分、幸せ半分』っていう誰しもそんな分配に人生は出来てるんだって、と会社の先輩にふとした時に、言われて・・・ますます、結婚できる未来に確信が持てたことも大きかったのですが・・・。
今でもなんだったんだろう、あの確固とした自信は?と不思議に思うことがある。
先の運命が見えるような霊感の強い人間でもないのに、何歳で出来るんだか?本当に結婚してくれる相手なんか見つかるんだかわかんないのに、『結婚は絶対にいつか出来る』と思えたあの思い込み。
なぜという理由を無理にでも探してみようとすれば、きっと一つには、ど〜しても希望が捨てられなかったことだ。
結婚したい夢・・・それは、「お金持ちになりたい」とか、「恋愛をしたい」とかそんな思いを遥かに超えていて、私の場合、これから先の共に走ってく伴走者のイメージそのもので、抗がん剤に叩きのめされた孤独からもう、逃れたい一心からの心の叫びだったのだと思う。
再び、がん患者に戻ることなんか考えてもいなかったし、ただ無性に、血縁でない、絆で結ばれた人を捜し当てたかった。
だから、結婚相談所に入るなんて、自分から30歳になった時には選択肢にもなかったことだけど・・・もう、恥も外聞もそんなことは、もう一切消えていた。
血縁に、家族に疲れたというのも正直あった。
自分ががん患者で居たとき、家族に迷惑がかかったので、それを思うと、血縁ほど、ツライものはないと思ったのです。
夫なら、他人だし、そんなに気が狂いそうな思いは引きづらないでくれるだろうと、思ったのもある。
祖母をがんで失った時も、父をがんで失った時も、肉親のショックはそりゃあ、ガン死で見送るのは、ツライものだった。
家族も変わり果てていく相手を見舞い続ける哀しみは、本人の方がツライだろうが、私は、どっちがつらかったと聞かれたら、見舞う方が辛かった。
ガン患者本人は、辛いけど、最初、自分の副作用でいっぱいいっぱいで、家族の内心の辛さを慮る余裕はない。
見守る、それももう末期と言われた私の祖母も父も同じ道を辿ったが、ここから見えるあの病室で痛みと闘ってる様を思うと、こっちも夜が何晩も眠れなくなった。
夫という他人で、ワンクッションおいていたならば、心配をかけて、金銭面や迷惑をかける点においては同じかもしれないだろうけど、例えば今の私の夫ならばだが、・・・常に冷静なタイプで、私のように感情的に人を熱く愛するタイプの人でないので、万一、私が先に逝ったとしても、私を忘れられず、気持ちをいつまでも引きずって、後追い自殺してしまうようなこともないだろう・・・と安心に思ったのもある。
私が、もしも『冬ソナ』のようなチェ・ジウのような出来過ぎた女だったら、大変なところになる所だった(笑)
料理も下手で、へなちょこ妻で良かったと思う次第だ。
彼は、今度はもっと料理の上手い、優しい女の人と出会えるだろう。
(ちゃんと、神様にお願いしとくからね。任せておいて!!)
神様は、非常にうまく人を引き合わせてくれてある。
彼は、非常に何にしろ切り替えが早いし、期待も何においても特大にしない。(全く愛されてはいないとは、思ってはいないけれど、私が彼を思っているほど彼は私に対して、思い込みは強くない。)
そこが彼にとって、この出逢いは救いなのだ。
だからこそ、こうして私が楽に息ができてるのかもしれない。
私が死んだら、夫も落胆して後を追って来てしまうような男性と結婚してしまっていたら、きっと私がまたツライ。
彼にも、私が死んでもその後にも絶対にまたすごく幸せになれる再婚が待っているという『希望』はあるのだ。
ツライ事が起きた後には、必ず福が来るように出来ているのだから。
私の闘病で、そのことは、もう実証済みだから、夫も再婚には、きっと私を思い出して負けん気できっと、もっと幸せにならなくっちゃと・・・意欲を燃やしてくれるだろう。
ちなみにツヴァイでも再婚組は非常に多い。
『希望』ってそんなもの。
私の死んだ後、「私が魂になって、私の希望って何か?」って聞かれたら、やっぱり、「夫の残りの人生をもっともっと幸せな相手とまた再婚させてあげて下さい」だもんね。
私は本気でそう思っている。
希望は、必死に誰しも掴もうと思えば、掴めるものだと。
その掴みたい必死さと、タイミングの問題だけなのだと。
イメージ的には、バレーボールのボールを1点も落とすまいと追いかける選手のイメージかな。
相手の強烈なスパイクを必死になって這いずり回って、ボールを拾いまくる、拾い続けるような情熱。
あれと一緒かな。
そう・・・『タイミング』は、神だのみなのかな?
風が吹くままに・・・って感じ?
でも、自分が吹いてくる方向さえ掴めば、自分が紙飛行機になって飛ぶことは出来ると思う。
でもね、結婚だけが幸せの形ではないけどね。
同棲だって、立派な、幸せな形。
誰か、伴走者がいたら、人は、『幸せは、倍に。悲しみは半分になる。』という言葉は真実だから。
それにしても、神様のカップリングって神業だなあと、つくづく思う。
なんか、私が死んだ時いっぱい書き込んでしまって、なんか縁起でもない日記になったけど、伝えたい内容の、私が書きたかったことはわかってくれたかな?
どんな人生でも、ツライあとには、福が待つということ。
ただ、それだけだったんだ。例が良くなくって、ごめんね。
でも、思いは本当なの。ここに書くことに私はいつも嘘偽りは書きたくないから。
希みを望むと書いて、希望・・・。
私が結婚をしたくて、絶対に結婚が出来ると確信めいたものが、どっかに捨てずに何度断られても、あったのは、この希望がいつも心の中で赤々と燃えていたからなんです。
別に、皆は妙〜に写真映りがいい私を見て、誤解してるかもしれないけど、私自身は、「自分のルックスに自信があって、絶対に自分の貰い手はきっとあるだろう」とかそんな大それたことも思ってなかったし、又、子供が産めないことに必要以上に(見合いで断られた日には、そりゃあ落ち込んだりもしたけど)、自分自身を特に卑下もしてなかった。
でも、なんだろう?
自分が諦めさえしなければ、これだけのツライ思いをした人生をこんな歳で味わってきたんだもの・・・「後半につづくみたいな」・・この人生の後半の続きに大どんでん返しが待ってないとね、「そんな面白さがなきゃ、そりゃ嘘だよね!」っていう変な確信があった。
『不幸半分、幸せ半分』っていう誰しもそんな分配に人生は出来てるんだって、と会社の先輩にふとした時に、言われて・・・ますます、結婚できる未来に確信が持てたことも大きかったのですが・・・。
今でもなんだったんだろう、あの確固とした自信は?と不思議に思うことがある。
先の運命が見えるような霊感の強い人間でもないのに、何歳で出来るんだか?本当に結婚してくれる相手なんか見つかるんだかわかんないのに、『結婚は絶対にいつか出来る』と思えたあの思い込み。
なぜという理由を無理にでも探してみようとすれば、きっと一つには、ど〜しても希望が捨てられなかったことだ。
結婚したい夢・・・それは、「お金持ちになりたい」とか、「恋愛をしたい」とかそんな思いを遥かに超えていて、私の場合、これから先の共に走ってく伴走者のイメージそのもので、抗がん剤に叩きのめされた孤独からもう、逃れたい一心からの心の叫びだったのだと思う。
再び、がん患者に戻ることなんか考えてもいなかったし、ただ無性に、血縁でない、絆で結ばれた人を捜し当てたかった。
だから、結婚相談所に入るなんて、自分から30歳になった時には選択肢にもなかったことだけど・・・もう、恥も外聞もそんなことは、もう一切消えていた。
血縁に、家族に疲れたというのも正直あった。
自分ががん患者で居たとき、家族に迷惑がかかったので、それを思うと、血縁ほど、ツライものはないと思ったのです。
夫なら、他人だし、そんなに気が狂いそうな思いは引きづらないでくれるだろうと、思ったのもある。
祖母をがんで失った時も、父をがんで失った時も、肉親のショックはそりゃあ、ガン死で見送るのは、ツライものだった。
家族も変わり果てていく相手を見舞い続ける哀しみは、本人の方がツライだろうが、私は、どっちがつらかったと聞かれたら、見舞う方が辛かった。
ガン患者本人は、辛いけど、最初、自分の副作用でいっぱいいっぱいで、家族の内心の辛さを慮る余裕はない。
見守る、それももう末期と言われた私の祖母も父も同じ道を辿ったが、ここから見えるあの病室で痛みと闘ってる様を思うと、こっちも夜が何晩も眠れなくなった。
夫という他人で、ワンクッションおいていたならば、心配をかけて、金銭面や迷惑をかける点においては同じかもしれないだろうけど、例えば今の私の夫ならばだが、・・・常に冷静なタイプで、私のように感情的に人を熱く愛するタイプの人でないので、万一、私が先に逝ったとしても、私を忘れられず、気持ちをいつまでも引きずって、後追い自殺してしまうようなこともないだろう・・・と安心に思ったのもある。
私が、もしも『冬ソナ』のようなチェ・ジウのような出来過ぎた女だったら、大変なところになる所だった(笑)
料理も下手で、へなちょこ妻で良かったと思う次第だ。
彼は、今度はもっと料理の上手い、優しい女の人と出会えるだろう。
(ちゃんと、神様にお願いしとくからね。任せておいて!!)
神様は、非常にうまく人を引き合わせてくれてある。
彼は、非常に何にしろ切り替えが早いし、期待も何においても特大にしない。(全く愛されてはいないとは、思ってはいないけれど、私が彼を思っているほど彼は私に対して、思い込みは強くない。)
そこが彼にとって、この出逢いは救いなのだ。
だからこそ、こうして私が楽に息ができてるのかもしれない。
私が死んだら、夫も落胆して後を追って来てしまうような男性と結婚してしまっていたら、きっと私がまたツライ。
彼にも、私が死んでもその後にも絶対にまたすごく幸せになれる再婚が待っているという『希望』はあるのだ。
ツライ事が起きた後には、必ず福が来るように出来ているのだから。
私の闘病で、そのことは、もう実証済みだから、夫も再婚には、きっと私を思い出して負けん気できっと、もっと幸せにならなくっちゃと・・・意欲を燃やしてくれるだろう。
ちなみにツヴァイでも再婚組は非常に多い。
『希望』ってそんなもの。
私の死んだ後、「私が魂になって、私の希望って何か?」って聞かれたら、やっぱり、「夫の残りの人生をもっともっと幸せな相手とまた再婚させてあげて下さい」だもんね。
私は本気でそう思っている。
希望は、必死に誰しも掴もうと思えば、掴めるものだと。
その掴みたい必死さと、タイミングの問題だけなのだと。
イメージ的には、バレーボールのボールを1点も落とすまいと追いかける選手のイメージかな。
相手の強烈なスパイクを必死になって這いずり回って、ボールを拾いまくる、拾い続けるような情熱。
あれと一緒かな。
そう・・・『タイミング』は、神だのみなのかな?
風が吹くままに・・・って感じ?
でも、自分が吹いてくる方向さえ掴めば、自分が紙飛行機になって飛ぶことは出来ると思う。
でもね、結婚だけが幸せの形ではないけどね。
同棲だって、立派な、幸せな形。
誰か、伴走者がいたら、人は、『幸せは、倍に。悲しみは半分になる。』という言葉は真実だから。
それにしても、神様のカップリングって神業だなあと、つくづく思う。
なんか、私が死んだ時いっぱい書き込んでしまって、なんか縁起でもない日記になったけど、伝えたい内容の、私が書きたかったことはわかってくれたかな?
どんな人生でも、ツライあとには、福が待つということ。
ただ、それだけだったんだ。例が良くなくって、ごめんね。
でも、思いは本当なの。ここに書くことに私はいつも嘘偽りは書きたくないから。